コロコロ転がってどんづまりまで来た。
昨日の夜から決めていたとおりに、ジリジリと鳴る目覚まし時計を思いっきり叩いたが、手のひらが赤くなっただけだ。布団から起き上がってコンロに火をつけ、やかんをのせる。
また布団に戻る。そしてまた転がりはじめる。壁から天井へ、天井から壁へ、壁から床へ。八回目に天井に上がったとき、僕は不意に引力に負けたように床へ落下した。
山をふたつ越えたところにある喫茶店。その喫茶店「トゥトゥアン」でまたもや僕はお湯を沸かす。今度は電気ポットで。マスターはいない。週四日は店を開ける。その間、僕が店番をする。
看板を出しに外へ。快晴。いや曇り。いや雲がどんどん増えていく。雨が、雨が降る。雨が降る。僕の頭、首から上が前につんのめり、ぽっきりと折れ胴体から切り離された。頭が地面に落ちた拍子に小石が右眼に突き刺さる。痛みが顔中の筋肉を収縮させる。「トゥトゥアン」の前の坂を僕の頭は転がりだした。雨で顔全体が気持ち悪い。頭と同じスピードで坂道を下る雨水が容赦なく鼻耳に入り、脳がツーンといいだした。ツーンゴロゴロツーン。ツーン。前が見えない。雨と眼の痛みで、視界は赤と灰と青。前が前だかどうかもわからず、上がっているのか下がっているのかもわからず、ただ赤と灰と青がごっちゃになって通り過ぎてゆく。顔は思ったよりもデコボコしているらしい。血の味がする。いつも思い通りに動かなかった僕の手足。戻ってきてくれないか、今。
顔の皮膚が剥がれ、アスファルトに血の道をつくる。ツーンベリベリコロジョリツーンビチャ。ポーングシャ。誰か止めてくれ。あえあおええうえ。黄色い歯が剥き出しになった口で声にならない声を出す。
ゴロゴロ。ドカンボン。
坂の終いまで着いたらしい。もう僕に映像はない。最後に光が見たかった。まだ残っている顔中の筋肉を集中させ、眼を、眼をこじあける。最後に光を。見たのは赤い菊の花。血液とリンパと雨水の間に嗅いだのは糞のにおい。お前じゃない、お前じゃない。くそったれ。ようやく口に入ったのはやっぱり糞。
そして僕は流された。
長い長い旅。耳も殺ぎ落ちた。鼻ももげた。口笛吹いてもスースーいうだけ。今じゃ俺、頭蓋骨。むくろと化したのよ。
キュキュッポン。
ちょうどいい、落ちてきた場所がまさに「トゥトゥアン」前の俺の胴体の上。恋焦がれた俺の胴体と合体。胴体と一緒。ところが俺は頭蓋骨、肉とはまったく釣り合わないね。もうだめだこりゃ。雷様、カミナリをひとつちょーだい。
ズドンパン。
これで俺たちめでたくガイコツ。ガイコツは踊りだす。狂ったように踊りだす。
もうコーヒーもいらない。カップ麺だって必要ない。
俺たちは一生一緒なんだ。踊りつかれたときに必要なのはカルシウムと愛だけ。骨から溢れ出すビートでいつまでも踊りつづける。イエイ。
イエイ。イエイ。
スパン。
華麗なターンをキメると視界を何かがかすめるではないか。
確かめるためにもう一度ターンしたとき、俺はずっしりと肉の重みを感じた。骨の上に肉がこびり付いていく。隆起していく肉。僕は昔のからだに戻ってしまった。ふと視線を感じて店のほうを見やると女がひとり、微動だにせず僕を見つめている。
「ご注文は」
「ブレンド」
コーヒーをいれ女の前に出す間、僕たちの視線は絡まったままだった。女の眼に僕が映り、僕の眼に女が映り、奥へ奥へ。いつしか女は眼だけになった。眼の15センチ下をコーヒーが行き交う。女の黒目が左右へブレたと思った次の瞬間、女の眼から芽が出た。ポン。芽が僕に手を振るかのようにフラフラと行ったり来たりして、少しずつ上へ上へ伸びていく。うむこれはまさしく成長だ、いや生長だ、なんて考えているうちにも上へ上へ。すっかり大きくなった女の芽はもうすでに蕾をつけていた。そのとき、さっきの激しい踊りが体に疲れをもたらして、だるい、牛乳を飲みたいなあ、冷蔵庫に入っていたはず。
カサカサ。ファッサ。
女は花開いた。女のイメージにはそぐわないダレた赤い色の花。僕は不意に食べてやりたい衝動に駆られパクついた。パクパクパクついた。パクパク。クチャクチャ。 やっぱり牛乳も飲みたくなって冷蔵庫から取り出してパックからそのまま飲んだ。
ジルジル。赤い花 ミルクとともに 白くなる。クチャクチャ。
程よく混じったところで僕は店の床に横たわった。なんとなく留まっていることが出来なくて、僕は転がりはじめた。床から壁へ、壁から天井へ、天井から壁へ、壁から床へ。何の障害物も無い。きわめて順調に転がり続ける。コロコロ。視界の端に禿げかかった中年の男が見える。コロコロ。だけど俺はもう止まらない。コロコロ。花と牛乳がいい具合に混じって、俺のからだが紅白になってきた。コロコロ。めでてえな。コロコロ。俺は。コロコロ。高速で。コロコロ。回転する。
ギュウイーン。
<了>