あなたは氷を食べました。
あなたはわたしを食べました。
あなたのおなかのなかには怪物が住んでいます。そのせいでわたしには居場所がありません。とても肩身が狭いです。赤い舌でペロリペロリ、いったいいつになったらやめるのでしょう。どうやらあなたのおなかのなかも舐めまわされているようです。助けてあげられたらいいのですが、如何せん怪物相手にはかないません。
わたしが正体をなくすころ、とげとげしい新入りがやってきました。今度の輩も優しくはなさそうです。あちらこちらに欠片をとばし、ひっかき傷を増やしています。わたしはかれをなるべく刺激しないように、しずかに包み込んでから声をかけました。
「きみ、そんなツッパったっていいことなんて何もないよ」
「うるせえバカ。おめえみてえなコンコンチキに何がわかる。だいたい話しかけておきながら姿も現さねえとはどういう了見だ」
「おお、こわ。まったく礼節がなってないね。第一、バカと言った奴がバカだというのは常識だよ。それに、見えるものがすべてなんて思ってるのかい。わたしはここにいるよ。きみのすぐそばに」
「うるせえバカ。シースルーなんて今どき流行らねえんだよ。時代が求めてるのはオレみたいなパンクだ。パンクをなめんなよアホダラア」
刺激しないつもりでしたが、わたしも少々いらついてしまいました。その心象がかれにも移ったのでしょう。わたしもまだまだ大人になりきれません。
「どうもきみのプライベートスペースに踏み込んでしまったようだね。謝るよ。ごめん。わたしも、さっきまでは他人に干渉しないことを誇りとしていたけれども、あそこにいる怪物に舐められてからどうしたわけか性格まで変わってしまったようだ」
わたしはそこで、会話の最中もあちらこちらを舐めて止まない赤い舌の怪物に意識を転じました。さきほどよりはいくらか勢いを失しているようです。わたしを舐めるのに、体力を相当な量使ってしまったのかもしれません。とはいうもののペロリペロリとのたうち回る赤い舌は、ひと舐めごとにおなかの内壁を傷つけていき、まだまだ脅威といえました。わたしは怪物に恐る恐る話しかけてみました。
「きみもそんな無益なこと、もうやめたらどうだい」
わたしのことばを聞いているのかいないのか、赤い舌の怪物は動き続けます。動くことに対してなにか考えがあるようには見えません。ひょっとしたら怪物の意思とは無関係に体だけが動いているのか、いや、その外見は怪物ですが中身には別な存在が押し込められているのかもしれません。
「もしかすると、きみ自身苦しんでいるのではないか」
わたしの声に反応するように怪物は震えました。
――グ……ガ、ガ……ギ、グ
赤い舌の奥で何者かが呻いている、わたしの耳にはそのように聞こえました。あともうひと押しで見えぬものが見えてきそうな気配がします。わたしが勢いに乗って怪物に近づこうとしたとき、また新たなる輩がおなかのなかに落ちてきました。
今度の新入りは、自信に満ちあふれた白い顔の持ち主でした。
「やあやあ、遅くなってしまったようだ。ム、奴がだいぶ暴れたようだね。ちょっと待っててくれ。いま問題を片付けよう」
そういって白い顔の持ち主は大きく体を広げました。その様子はわたしに「母なるもの」を思い起こさせました。
「……おかあさん」
ひどく寂しくなったわたしは、怪物を白い顔の持ち主にまかせて、ひとり感傷にふけることにしました。
「おい、てめえ。こっち来るんじゃねえよ、気持ち悪い」
なにやらパンク野郎が喚いていますが、大海を思い出したわたしにはもはやその声は蚊の羽音程度の意味しか持ちえません。パンク野郎はあちこちに欠片を飛ばしすぎて、自らも欠片のひとつのようになっています。
「おいって、近寄んなマザコン。さっきからてめえの体がオレに接触してるんだよ。境界を犯すな、バカ。おい、聞いてんのか、ウグッ……そこを触るな、アッ、ダメだ、そこだけは……くそっ、我を忘れていやがる……ハヒッ、やめろ、やめろってば……やめ、やめて……アッ、アアー」
白い顔の持ち主は赤ん坊をあやす母親のように、体全部をもってして赤い舌の怪物をすっかり包み込んでいます。怪物の呻きはいつしか泣きじゃくるこどもの声に変わっていました。怪物の泣き声に呼応するように、おなかのなかを揺らす警報の音が鳴りはじめました。わたしはパンク野郎を包み込み、白い顔の持ち主は赤い舌の怪物を包み込み、同じ日に生まれた赤ん坊をもつ母親同士の気持ちで互いにほほえみ合いました。しかし、警報が鳴り響くにつれわたしの意識は鈍化していきます。それは死を呼び起こす警報にも聞こえましたが、わたしのなかには、まさに大海を夢見るこどもの鮭のような無邪気な気持ちも生まれはじめていました。
――ウーウーウーウープー
青年の呻き声とも赤ん坊の泣き声とも断末魔の悲鳴ともとれるような警報がおなかいっぱいに鳴り響き、わたしたちはみな一斉に外界へと排出されたのです。
外には水面の揺らめきが待っていました。そこには多くの同胞が待っていました。もう怖がることはありません。意識の連続は断絶するでしょうが、わたしは再び生まれ変わることでしょう。パンク野郎がまだ喚いています。かれの生命力の強さは一考に値するかもしれません。生まれてくる世が世なら、かれとは友達にもなれたでしょう。残念です。
別れの時が近づきました。では皆さん、また会う日までさようなら。
ポチャン。
<了>