鶏肉弁当

満天スモッグ

 

 

 

 

 私は毎日、バイトのお昼休みに川原に行き、お弁当を食べる。

 春であったら親子連れやカップルで賑わう川原は、今は冬で寒いせいか、人気が少ない。ときおり、犬を散歩させる人が通るだけだ。

 川面では、まっ白くて大きい水鳥が、探し物をしているみたいにときどき水の中をのぞきながら、長い足でゆっくりゆっくり歩いている。そのゆっくりさに、少し腹が立った。

 お弁当は、いつもそこの角のコンビニの、デラックスのり弁当。そして、食後にはカルミンを食べる。水色と赤のコントラストのパッケージに包まれた、頼りない手触りのラムネ。カルミンは、なんだか懐かしいような味がする。なにか忘れてしまった大切なもの、を思い出せる気がする。

 だけど、私には大切なものなんてない。今も、そして昔も……ずっと、なかった。

 

 今のバイトは三ヶ月前に始めた。こっちに引っ越してきてからの初めてのバイトで、家に近いから、という理由だけで選んだ。仕事は、はっきり言っておもしろいわけではない。おもしろいどころか、お店のやり方に抵抗さえ感じる。なんというか、自分の主義に反するのだ。だけど、かといって私は反抗したり、意見したりはしない。たぶん言ったところで何も変わるわけではないと思う。ずっとやめたいと思っているのだけれど、その話をするのもめんどうくさい、と思う始末で、ずるずるとバイトを続けている。それに、どうせ次のバイトを探す気力もないのだ。

 そんなわけで、今日もデラックスのり弁当を食べる。

 

 今日も、向こう岸に武士がいる。着物姿で、長い髪を頭のてっぺんで結んでいる。

 もちろん本物の武士ではない。最初はびっくりしたが、どうも近くのカフェの人である、とわかった。その名も戦国カフェ。いくらカフェブームだからって、それはどうなんだろう。

 ほぼ毎日会っている、というか見かけるわけだから、お互い気付いていないわけではないと思う。だけどだからって話しかけよう、という気にはならない。たぶん向こうもそうなんだろう。なので、今日も知らないふりをして、武士と私はお昼休みを過ごす。

 風がさあっと吹き、ばさばさと音をたてて水鳥がゆっくりと飛んでいった。

 ふと武士のほうを見ると、武士も水鳥を見ていた。だけどその目は、なにか別の、遠くのものを見ているようにもみえた。

 

 今日は給料日だ。バイトをしている中で、唯一楽しい瞬間が、お給料袋を開くときだ。だけど、時給が安いので、そんなに給料は多くない。やっぱり、辞めたいなぁ……。

 

 空を見上げると、雲ひとつない、ムカつくほど完璧な青い青い空が広がっている。私は晴れた空は苦手だ。曇り空のほうがいい。

 いつだか、誰かが言っていた。曇り空が好きなのは、怠け者の証拠だって。当たってるのかもしれない。

 そんなことを考えていると、いきなり後ろから声をかけられた。

「おーい、ミキじゃん。なにしてんの?」

 その声の主は、果歩だった。果歩は、私がこっちに越してきて出来た、唯一の友達だ。背中まであるサラサラの髪、女の子らしい服装。ほんとに、果歩は私と正反対だ。

「あ、果歩……。バイトの休憩中」

「おつかれ~。まだ休憩時間ある?」

「うん、結構あるよ」

「おっ、そっかそっか。んじゃ私もお昼買って来る~。いっしょに食べよ」

「うん」

「じゃ買ってくんね~!」

 自慢のオレンジ色の自転車をスイッと走らせ、果歩はすぐそこの角を曲がって行った。

 

 果歩はいつも楽しそうでいいなぁ。私にはとても真似出来そうにない。

 だけど、いくら悩みがなさそうだからといって、実際に何も悩んでいない人なんていないことはもう分かっている。

 

「あそこのお弁当屋、おいしそうなやつばっかで悩んだわ~」

 果歩は嬉しそうにお弁当の包みを開け、食べ始めた。お弁当の包みには、ニコちゃんマークが描かれている。たぶんこの先の、家庭の味を売りにしているお弁当屋で買ったのだろう。私はそういうお弁当屋があまり好きではない。いつも、そういう店を避けてコンビニでお弁当を買う。コンビニ弁当は、なんだかそっけない味で、他人行儀な気がする。自分には、それが合っている。

「ミキ、バイト、どうなん?」

「うーん、まあこんなもんでしょ」

「そっか……」

 果歩は少し物足りなさそうな顔をした。私だって、ほんとは色々愚痴でも言いたかった気分だったが、どうも人を前にすると言う気がなくなってしまう。いつもそうだ。だから、私は本心を人に伝えたことがない。

 そして果歩は、あまり人のことを突っ込んで聞いたりしない。私は、果歩のそういうところは結構好きだ。もしかしたらただ単に、私に興味がないだけかもしれないけれど。

 

「……あそこにいるの、武士……?」

 果歩は、お箸を止めて向こう岸をじっと見ている。見ると、いつもの武士が向こう岸に座っていた。

「あぁ、あの人ね。カフェの店員だよ。ほら、そこの戦国カフェの。知らない?」

「えっ、戦国カフェ?! そんなんあるんや」

「うん」

「そっか……」

 果歩は、疑い深そうな顔で武士を見ている。

「それにしても、着づらそうやね……:あの制服」

 時計を見ると、もう一時間が過ぎていた。そろそろ店に戻らないとな……。お昼休みって、時間がたつのがほんとに早い。いつだって、過ぎてほしくない時間ほど早く過ぎてしまう。実際は、いつも同じように時間が流れているとしても。子供のときは、ほんとによく思ったものだった。自分の好きなときに、時間を止めることができたらいいのに、って。

 だけどもし今、時間を止めれたとしても、私のしたいことはもう少しゆっくり休憩することぐらいだ。ほかにしたいことなんて何も思いつかない。すこしの夢を持つことさえできなくなったなんて、寂しさを通り越して呆れる。

「私、そろそろお店戻るよ」

「そっか。また今度ゆっくり会お」

「うん、じゃあね」

「がんばれ~」

 果歩は、ひらひらと手を振った。ブラウスのフリルが、日に透けて蝶々みたいに見えた。

 まだ、季節は冬なのに。

 

 次の日、私はいつものコンビニに行った。すると、ちょうどお昼を買い終わった武士と、はちあわせた。そしてそのうえ、目が合ってしまった。

 お互い、一応顔見知りなわけだから、なんとなく気まずい。けれど、私は別に話をする気もなかったので、そのままお弁当を買った。いつもの、デラックスのり弁当。

 お弁当を買って、川原に行こうとすると、武士が店の外に立っていた。長髪に、無精ひげ。だけど、不思議と汚くは見えなかった。

「こんにちは。初めてやな、こんなとこで会うの。いつもは川原のこっち側と向こう側やん。話しかけよかなと思ってたんやけど、なんか君そういうの嫌そうやし」

 よくわかってるじゃない、と思ったけど、それとは反対の言葉が口から出た。

「別に、そんなことないけど……」

「じゃあ、今日は一緒にごはん食べようや」

 思っていたより人懐っこい感じだったせいか、なぜか断ることができずに、一緒にごはんを食べることになった。

 

 

「ふーん、なんかこっち側やとちょっと雰囲気違う感じするなぁ」

 そう言って、武士は、いつも自分が座っていた側の川岸の景色を眺めていた。

 私は、お弁当を開けて食べ始めた。それを見て、武士もお弁当の包みを開け始めた。鳥の照り焼き弁当……私は、買ったことがない。いつもと違うお弁当を買って、それが不味かったら嫌だからだ。

 ただでさえ楽しくないのにこれ以上、憂鬱になりたくない。

「俺さ、別に怪しい人やないねんで」

「え?」

 急に話しかけられて、私は付け合わせのきんぴらごぼうを落としそうになった。

「いや、こんな格好してるやん」

「あぁ……」

「そこのさ、カフェの店員なんやけど。戦国カフェやねん」

「うん、知ってる」

「あ、知っとったんか」

 知らなかったら、普通話しかけられる前に逃げてるだろうと思う。武士は少しほっとしているようだった。

「自分はどこで働いてんの?」

「この近くの定食屋だけど。まんぷく屋ってとこ」

「まんぷく屋……あぁ、あそこか。豚の絵の看板のとこやろ」

「いや、豚じゃなくて猪なんだけど」

「あ、そうなんや。ははは……」

 確かに、そう言われてみると豚に見えなくもない。だけど、私はこういうときにフォローしたりしない。実際は猪なんだし……それに、人と話すのは苦手だ。

 そういう私の雰囲気を感じたのか、武士はそれ以降はあまり無理に話しかけようとはせず、私たちは無言でごはんを食べた。

 

 しばらくたって、武士はタバコに火をつけた。もう片方の手には簡易灰皿。ふーん、意外と真面目なんだ。

「自分さぁ、今のバイト、楽しい?」

「うーん、まぁ」

 カルミンの包みを開けながら答える。

 本当は楽しいわけがないのだが、やっぱり言えない。初めて話した人になんて、余計に言えるわけがない。

「いいなぁ。俺さ、楽しくないねんよな」

「……その服だから?」

「あ、これ? 俺は結構好きやけどなぁ、この制服。ま、ちょっと着づらいけどな」

 そういって、武士は着物の裾を少しつまみ上げた。

「そうじゃなくて、まあいろいろあるんやよな……人間関係とかさ。けど一番きついのは、やりがいを感じられへんことかな」

「やりがい?」

「うん、やりがい。やっぱ、それがないと仕事頑張られへんやろ」

 ふと見ると、武士はとても真剣な表情をしていた。

「やりがい、ねぇ……」

 私は、やりがいなんて、今まで感じたことなんてなかったことに気付いた。やりがいって言う言葉すら、忘れかけてたほどに。何も、言うことが出来なかった。私はなんのために毎日生きているんだろう。そんなこと、今まで考えようともしなかったけど。

 寒くて冷たい風が二人の間を通り抜けた。私は、マフラーをつよく結びなおした。

「ま、こんな話ええか。せっかくの休憩中やしな。仕事の話はやめよ」

 武士の顔は、もう元の表情に戻っていた。

 

 

 あの日から、私と武士は毎日お弁当を一緒に食べるようになった。ちょっと前までは川のぶんだけ距離があったのに、今はこうして隣同士でお弁当を食べてるなんて。でも、不思議と嫌とは思わなかったし、うっとうしいとも感じなかった。

 武士はけっしてなれなれしくしてこなかった。毎日、違う人と会っているみたいだった。毎日、新しかったから。

「自分、いっつもその弁当やな。そんなにおいしいん?」

「いや、べつに……ほかの買って不味かったらやだし」

「それもおもしろいやん。毎日おんなじやつやったら飽きるやろ。今度、これ買ってみてよ。鶏肉弁当。おいしいで」

 にゅっと、私の前にお弁当をつき出す。

「うん……」

 武士は人懐っこい笑顔で笑った。私は少しうしろめたくなった。じゃあ鶏肉弁当を買ってみよう、なんて素直に思えなかったから。

 

「あ~、いい天気やなぁ。雲がもうちょい少なかったら、もっとええのになぁ」

 武士は、まぶしそうに空を見上げている。

「うん……でも、私は曇りのほうが好きだけど」

「そうなん? なんか気分落ちこまへん? 曇ってたら」

「そうかな。わたし、怠け者だから」

「えっ?」

「曇り空が好きなのは、怠け者の証拠」

「なんやそれ……」

「ふふ」

「へんなやつ」

 武士は呆れ顔をした。

「あんたに言われたくないよ」

「まあな」

 そのとき、私と武士の間に暖かい風が吹いた。その風には、確かに春が含まれていた。冬も、もうすぐ終わりだ。

 

 次の日、やっぱり私はいつものようにデラックスのり弁当を買った。武士は、ちらりと私を見た。だけど、何も言わなかった。

 話すことが見つからなくて、私たちは無言でごはんを食べ続けた。

 ごはんを食べ終わると、武士は川岸に立って、石切りをはじめた。投げられた石が、二回、三回と川面を跳ねる。

 

 カルミンの包み紙を開けて、それを口に入れたとたん、急に言葉がとび出した。

「大切なもの、って、なに?」

 自分でも、何でこんなことを急に言ったのかわからなかった。

「えっ?」

 武士は、私のほうを振り向く。逆光で、武士の顔がよく見えない。

「自分にとって、大切なものってある?」

「うーん、大切なものか……そうやなぁ」

 武士は手に持っていた石を今までよりも強く、速く投げた。石は、川面を二回、三回、五回、六回と跳ねた。どこまでも飛んでいきそうだった。

 それを見て、武士は満足そうな顔をして、振り返って言った。

「気持ち、かな」

「気持ち?」

「うん、毎日を楽しく過ごそうとする気持ち。ささいなことも見逃すことのないように、気をつけること。それを見つけたいという気持ちをずっともつこと」

 武士は、歩いてきて私のとなりに座る。

「気持ちのもちかた次第で、どうにでもなる。無駄なことなんてない。たとえ、辛くて嫌なことでも、いつかはいいことに変えれるはずやから」

「そうかな」

「うん、そうやと思う」

 武士は、空を見上げて言った。それは、自分に言いきかせてるようでもあった。

 今日も、空は青空だった。少し残っている雲が、風に吹かれて流れる。

 私には、そんなふうに過ごすのは無理だ。そんな気持ちになれない。どうしたらそういうふうになれるんだろう。

 

「なあ、それちょうだい」

「えっ?」

 見ると、武士は、私が手に持っていたカルミンを指差している。

 紙をめくって、ひとつ渡す。

「ふうん、なかなかおいしいな。また買ってみるわ」

 武士は、人懐っこい笑顔でにいっと笑った。

 買わなくても私があげるのに、と思ったけど、はずかしくて言えるはずもなかった。

 武士は、また空を見ている。いつかの、遠い目をして。

 

「俺さ、実は今日でバイト辞めるねん」

 私は、少し驚いて武士のほうを見た。

「ほら、言ってたやん、最初に。やりがいないし、楽しくないって。気持ち変えれるようにがんばったんやけど、ちょっと今回はむりやったわ。そんな気持ちで仕事すんの、やっぱり良くないと思って。それやったら、もっと自分に合った他のバイト探したほうがいい。人生短いんやから」

 武士はやっぱり、とても真剣な顔をしていた。この顔が、本当のこの人なんだ。まっすぐで、曇りのない表情。

「この着物はわりと好きやったから、これ着れんくなるのんは寂しいけどな。あと、自分と会えへんくなるし」

 私はびっくりして武士を見た。すると、武士と目が合った。その目は、本当に一点の曇りもないみたいだった。

「なんてな。はは……」

 武士は照れくさそうに笑った。

「でもな、昼休みだけはほっとできたわ。短い間やったけど、ありがとうな」

「いや、私は何もしてないけど」

 武士は、私のほうは見ずに、少し笑って、立ち上がった。

「じゃあな。自分は、バイトがんばってな」

「うん」

 武士は手を振りながら歩いていった。ときおり振り返って、人懐っこい笑顔を見せながら。

 

 

 それから、私はまた一人でごはんを食べることになった。たまに癖で向こう岸に武士を探してしまうが、すぐに、もういるはずのないことに気付く。だけど、ひとりが逆に新鮮だったせいか、不思議とあまりさみしくはなかった。

 

 

 しばらくたって、季節はすっかり春になった。

 相変わらず、嫌ながらも、私はバイトを辞めれずにいる。そして今日も、デラックスのり弁当を食べて、食後にはカルミンを食べる。

 カルミンの包み紙をめくったそのとき、暖かい風が吹いた。

 私は、ふと空を見た。青くて、雲のない完璧に晴れた空……武士が、好きだといった空だった。私は急にさみしくなった。ほんとに、突然。もう、武士には会えないんだ。これからも、ずっと。

 立ち上がって、石切りをしてみる。遠くに飛ぶように、何回も。でも、武士みたいに石を跳ねさせられなかった。おまけに、全然遠くになんて飛ばない。半分やけくそで、石を飛ばし続ける。

 もしかしたら、私はうらやましかったのかもしれない。その証拠に、武士を思い出さない日はなかった。武士の姿、言葉、きれいな目。武士みたいに、真剣に、素直に、私も生きたい、と思った。こんなことを思ったのは、初めてだった。

 その次の瞬間、私の投げた石が、川面をぴょんっと跳ねて、思いがけないくらい遠くに飛んだ。

 大切なものは、相変わらずない。だけど、きっと見つかる気がする。見つけてみせる。何でもできそうな気がする。

 武士に会えて、よかった。

 

 

 次の日、私は鶏肉弁当を買った。武士がすすめた、お弁当。味は、悪くなかった。

 空を見上げると、今日も青空が広がっていた。これも、悪くないかもな……。私は、少し笑った。武士の人懐っこい笑顔を思い出して。

 

 

 <了>